東大生ベトナム研修プロジェクト2016

ベトナム研修3日目

ベトナムの学生団体「SUGAR」との交流会

8月9日、再びホーチミン市にて、HIV感染者を支援するベトナムの学生団体「SUGAR」との交流会を実施。「SUGAR」は主に都市部の高校生や大学生から構成されている。昨日のチャーヴィン市が貧困層ならば、こちらは富裕層に属する家庭の出身者が多い。 ベトナムでは「個人の力を全体のために使う」という意識が根付いている。いわば〝エリート〟である「SUGAR」の学生たちは、己の身分に胡坐をかくことなく、HIV感染者の偏見や差別を取り払う活動を続けている。同じく日本では〝エリート〟だと目されることが多い東大生は、「ノブレスオブリージュ」を実践するベトナムの若者たちに、大いに刺激を受けることとなる。

そして同時に、昨日自分たちが見てきたばかりのチャーヴィン市の状況と、あまりにもかけ離れた都会の状況を目の当たりにすることにもなった。「SUGAR」の学生たちと、昨日出逢ったミーリンちゃんやテュエンちゃんとの間に広がる、厳然たる格差。ベトナムを客観視することで、今まで考えたこともなかった「自分たちの社会的な立ち位置」へと意識が向く。「SUGAR」の学生たちとの交流は東大生たちに、多くの〝気づき〟をもたらした。

  • 「SUGAR」の学生たち
  • 東大生と「SUGAR」の学生たち。同世代の若者たちは、すぐに打ち解けた。

「SUGAR」の学生たちとの交流

第一部として、英語を共通言語に、自己紹介や自国の文化を紹介しあった。東大生は、日本の学生の標準的な一日をプレゼンテーション。英語でジョークも交えながら説明し、会場の笑いを誘う。 彼らは〝堅物〟のイメージがあるかもしれないが、接してみると案外〝普通の若者〟の一面もある。共通するのは自己管理能力の高さと真面目さ。課題に対して己の力で〝解〟を見出し実行することができる。

半面、今回の研修でも虫を怖がる学生がいたり、お腹を壊す学生が数名出るなど、若干の頼りなさがあるのも事実だろう。彼らもまだ20歳前後の学生だ。ベトナムという異国の地での体験で、少しでも逞しくなってくれればとも思う。

  • 日本の文化を紹介する東大生
  • ベトナム料理の説明を受ける東大生

東大生の報告書より

村上さん 理科一類2年生 村上さん
ホーチミン中心地は東京も顔負けの近代都市であり、人々の暮らしも豊かで「SUGAR」の皆さんと話したときはまるで都内の高校生と話しているように感じるほどでした。英語もペラペラで、さらに日本語まで勉強していて、自分の英語の拙さがただただ恥ずかしかったです。次会った時には絶対に彼らに負けない英会話力を身に付けていたい…。海外への留学を考えている人が多く、いずれベトナムを引っ張っていくのだろうと強く感じました。同じアジアに住む人間として、いい刺激をもらいながら、これからも様々な面で助け合っていきたいと思います。
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「SUGAR」の学生たちとのディスカッション

第二部は、「塾に通う」事についてディスカッションを行った。ホーチミンで一、二を争う名門校に通う学生が多い「SUGAR」と、日本での受験競争に打ち勝ってきた東大生ならではのテーマかもしれない。

「SUGAR」の学生たちが出した結論は「self control」。塾に費やす時間は、生産的ではない、ネガティブな時間との印象だという。勉学は自分で制御して、わからない所を自分で補いに行くというものだった。そうすることで、勉強時間のストレスをもコントロールするという意見が展開された。

これに対し東大生は、「教育格差是正・教育機会の均等」のために、スカイプやテレビを使った学習を含んだ「通信教育」の活用を提案した。前日のチャーヴィンでの訪問を例に、経済格差から教育格差が生まれてしまう現状を説く。彼らは、タップガイの現状から、「学びへの手助けが必要な子どもへの支援」の重要性を実感していた。

後から聞いたところによると、今回の研修のスポンサーである私たちフォーサイトに配慮して通信教育を提案したわけでは全くなかったそうだ。むしろ後になって符合に気づき、驚いたくらいだという。「誰もが質の高い教育を平等に受けられるように」という私たちの理念に、無意識であっても彼らが共感を示してくれたことを嬉しく思う。

「SUGAR」の学生たちとのディスカッションは、質疑応答でも自由で快活な質問が飛び交い、充実した7時間となった。

  • 「SUGAR」学生のプレゼンテーション
  • 東大生のプレゼンテーション
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東大生の報告書より

栂野さん 文科一類2年生 栂野さん

ホーチミンはチャーヴィンに比べると相当都会であることもあって、彼らの考え方は良くも悪くも都会的でした。彼らは、都会っ子として、都会において社会問題となっているテーマについては非常に深い見識をもち、はっとする意見を述べるのですが、一方でチャーヴィンのような地方の教育問題に対してはあまり知識・情報を持ち合わせていなかったようで、前日にチャーヴィンに1日だけ訪れたよそ者の僕たち日本人が、チャーヴィンの現状をベトナム人に伝えるといった、ある意味逆転した奇妙な経験をしました。僕はそのことに、えもいわれぬ寂しさを感じました。

ただ、帰国後になって研修中のこの体験を振り返ると、言ってしまえば当たり前のことなのかなと思いました。なぜならば、僕は日本人だけど、日本全国47都道府県、もっと細かく言えば市町村単位での教育問題(特に教育格差)についてすべてを知り理解しているとは言えないからです。至極当然のことながら、日本人だからといって日本の教育格差を全て知り尽くしているわけではないのと同様、ベトナム人だからと言ってベトナムのそれを全て知り尽くしているわけではないのです。自分の浅い知識を棚に上げて、ベトナムの高校生の浅識さに寂しさを覚えた己の傲慢さを内省しつつも、僕は自分の無意識の中に「自分は日本人だから日本の問題に関してはある程度理解しているはずだ」という、根拠のない、いわば「知ったかぶり」の精神があったことに気づきました。その考え方をベトナムの高校生にも投影したために、ベトナム人なら当然チャーヴィンの教育格差問題にもある程度の見識を持ち合わせているはずだと勘違いしてしまったのだと思います。

今回の研修でこの自分の考え方の存在に気づけたことはとても重要な体験になりました。