行政書士講座の講師ブログ

今年の本試験(2014年11月9日)まで、あと31日

本試験まで31日となりました。
勉強は進んでいますか?

今回は、マンネリ化対策について、お話します。
フォーサイトの戦略立案編にもありますが、
マンネリ化対策は、勉強に疲れてくるこの時期にこそ大切です。

マンネリ化対策としては、
○人からやる気をもらう…… コンサート・映画・スポーツなど、人が一生懸命やっているものを見て、やる気をもらいましょう。

○目標を再確認する…………なぜ、その資格を取りたいのか、目標を再確認しましょう。

○場所を変える……………… 自宅での勉強に飽きたら、カフェ・喫茶店・ファミレス・図書館など、場所を変えてみましょう!

○勉強方法を変える………… テキストに飽きたら、DVDで学習。テキストを読むのに飽きたら、問題演習…と勉強方法や教材を変えてみましょう!

どうですか?
ご自身でも実践できそうなものを、ぜひ試してみてください。

直前期は、ふとしたことで不安になりやすいものです。
気持ちの面でも、自分をきちんとケアしてあげてください。

また、豆知識として、行政書士の過去問(平成20年第4問の肢2)
に取り上げられている判例について、少し掘り下げてご紹介しておきます。

長文ですが、多肢選択式などでも判例の文章が出たりしますので、
判例の言い回しなどを読み取るのに良い練習になると思います。
時間のある時に読んでみてください。

判例は、旭川学テ事件です(最大判昭51.5.21)。

この事件は、1961年、文部省(当時)の実施した全国の中学2・3年生を対象とする全国一斉学力テストに反対する労組役員4名(教師)が、
学力テストの実施を阻止しようとして旭川市立永山中学校に侵入し、校長等に暴行を加えたため、
建造物侵入、公務執行妨害、共同暴行罪で起訴された事件です。

この裁判の過程で、憲法問題としての、子供の教育を受ける権利と教育権の所在が問題となりました。

最高裁は、以下のように判示しました。

「わが国の法制上子どもの教育の内容を決定する権能が誰に帰属するとされているかについては、
2つの極端に対立する見解(国家の教育権説と国民の教育権説)があるが、それらはいずれも極端かつ一方的であり、
そのいずれをも全面的に採用することはできない。

憲法23条の保障する学問の自由は、学問研究の結果を教授する自由をも含むが、
さらに知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によって
特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、
また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、
教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、
一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。

しかし、児童生徒に、〔教授内容を批判する〕能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、
また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも
全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、
とうてい許されない。

憲法の次元における教育権帰属の問題の解釈としては、子どもの教育の結果に利害と関心をもつ、
関係者らのそれぞれの主張のよって立つ憲法上の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するのが、
最も合理的な解釈というべきである。

親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし、
また、私学教育における自由や前述した教師の教授の自由も、
それぞれ限られた一定の範囲においてこれを肯定するのが相当である。

それ以外の領域においては、国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、
また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、
あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、
必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する。

人間の内面的価値に関する文化的営みである教育に党派的な政治的影響が深く入り込む危険があることを考えれば、
教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請され、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような
国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定からも許されない。」

その時の学説として、教育内容や方法を決定するのは国家であるという「国家の教育権説」と、
それは親や教師であるという「国民の教育権説」の対立がありました。

この判決は、教育権の所在が国か国民かというような、択一的な考え方ではなく、
親、教師、私学、国家等の教育権(限)の範囲を
それぞれ画定していこうとする基本的姿勢を示したものと評価されます。
そのような内容が読み取れると良いと思います。

この後は、10月11日から13日まで三連休の方も多いと思います。
ペースを崩さずに、学習を進めてください。

あと、31日!
がんばりましょう!!

フォーサイト専任講師 福澤繁樹