簿記講座の講師ブログ

子ども手当の論点

 皆さん、こんにちは。

 最近、子ども手当を支給する条件についての議論が行われているようです。

 当初、民主党が掲げたマニフェストでは、子どもがいるすべての家庭に子ども手当を無条件で給付することとなっていました。なぜなら、子ども手当は、社会全体で子育てを行うという理念のもと給付されるものであるとされたからです。社会全体で子育てを行うとは、親以外が子どもに対する様々な教育を行うということでしょうから、子どもすべてに等しく行き渡るようにしなければならないはずです。公立の学校であれば、お金持ちの家庭の子どもだけに料金がかかるなんてことはありませんよね?(お金持ちの子にプリントを配布するときは10円徴収したりするとおもしろいかもしれませんね)。子ども手当はそのサービスが現金給付に変わるだけであり、その本質にかわりはないはずです。

 一方、ここ最近、子ども手当を支給するための所得条件というものが議論されるようになりました。すでにかなりの所得を得ている人が、さらに子ども手当という現金を得る必要はないだろうという議論から出てきたようです。感情的には私もそう思います。1,000万円の収入のある人が、子ども手当として年に追加で25万円ほどもらったところで、その人にとっては“へ”みたいなものでしょう。だから、高所得者に子ども手当は必要ないかもしれません。でも、こんな理念とは関係ない考え方を突然考慮しはじめることが、日本の制度をメチャクチャ(つぎはぎだらけのように見えるもの)にしているのだと思います。

 先に述べたように子ども手当は、社会全体による子育てという理念から出てきたものです。親だけに子育ての負担を押しつけるのではなく社会全体で子どもを育てていこうという考え方です。親が子ども手当として現金を受け取れば、その現金を使って一時的に育児を他人に委ねることができます(一時保育に行かせるとか、習い事に行かせるとか、育児を効率化する物品を購入するとか)。ですから、少なくともその時間は、親は子育てから解放されて、親以外の社会人が子育てに加わることになるわけです。ここに高所得者や低所得者といった区別を入れる理由・意味はないはずです。

 では、社会全体で子育てをしようという発想はどこから出てきたのでしょう。間違いなく少子化の問題から出てきたのだと思います。つまり、「日本国として少子化はやばい → 親だけに子育ての負担をかけないようにすれば多くの人がもう少し子どもをもってくれるのではないか → そのために社会全体で子育てをすべきだ → その一環として子ども手当という制度を作ろう」という発想だったと思います。

 要するに、子ども手当支給の条件とすべきなのは、所得ではなく子どもの有無です。高所得者に対して子ども手当の支給をやめる(増税)するのではなく、子どもがいない人に増税すべきなのです。だって、子ども手当なのですから。もちろん、子どもをもてない様々な理由を考慮する必要はあると思いますが、私が言っていることはメチャクチャですかね?