簿記講座の講師ブログ

私はバカにされているのかな?

 皆さん、こんにちは。

 私の悪いところは、自分が何者でもないし、大した能力もないくせ、主張だけはいっちょまえなところです。わかってはいますが、今月も主張させていただきます。

 ちょっと前の新聞のコラムで、元官僚で現大学教授の方が、現在の政治がかなり大衆迎合的であることを嘆いて、次のような内容のことを書かれていました。

 民意に沿うことだけが政治ではない。民意が間違っているときは政治家がそれが間違っていることを説明し、変えなければならない。しかし、選挙で国民の審判を受ける政治家にとって、それは大変難しいことであり、それゆえ、政治家自身の立場が危うくなればなるほど、大衆迎合的にならざるを得ない。一方、選挙がない官僚はこれができる。

 要約すればこんな内容だったと思います。要約することによって本人が言われてことのニュアンスが変化しているかもしれませんが、少なくとも私はこんな内容として理解しました。

 これを読んで皆さんはどう思われますか? いろいろな意見があるでしょう。確かに官僚を選ぶ選挙はありませんから、官僚は長期的な戦略をもって国家の運営に当たることができるでしょう。

 しかし、官僚に国家の運営を任せてしまうと国民のための政策を実行することができなくなる可能性があります。相当高い志をもっていないと、人は、国民の利益になるけれども自分(あるいは自分に関係する人)が損するような政策を実行することは難しいでしょう。ですから、辞めさせられることのない官僚が国家運営の実権を握るのはよくないということになり、国民が政治家を選挙で選び、国民のためになる政策を立案し、官僚に実行させるという現在のシステム(建前だけになっているとの指摘もありますが・・・)となったわけですよね。国民がきちんと能力の高い政治家を選ぶことができれば、このシステムはうまく機能すると期待されているわけです。当選する政治家はより多くの国民から支持された政治家であり、その政治家が示した政策が指示されているということになります。おそらく、この選挙で選ばれた政治家が示すが政策を“民意”というのでしょう。

 先の発言は、現在の“民意”が間違っているという前提のようです。「今の国民は国家全体のことを考えた政策を支持していないから、国家運営の邪魔になっている。今はそんな間違った意見を聞くべきではない」と。

 でもこれって、ちょっと危険というか、非常に違和感を感じます。だって、ぶっちゃけた表現をすれば「今の国民は賢くないから適切な政策を選ぶことはできない。だから、それができる官僚に任せればいい」ってことですよね?

 官僚の人は優秀なのでしょう。でも、社会保険庁ではパソコン入力すらまともにできなかったことを筆頭に、ここ数年は“想定外”の能力の低さも目立ちます。国民の側からすれば、官僚に任せることの方がよっぽど危ないと感じる人がいても不思議ではないでしょう。

 この記事の筆者はもとの役所では幹部クラスだったようですから、俗に言うキャリア組でしょうし、私なんかではかなわないくらい頭がいいと思います。私が主張しているこの手の反論がくることも予想しているはずです。ではなぜ、この時期にこのような記事を書くのでしょうか? この後の展開に注目です。