簿記のスペシャリストによるこっそり裏講義

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2012/09

時は金なり

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 皆さん、こんにちは。

 日本ではお金のことを真剣に考える習慣があまりありませんでした。お金のことを話していると、特に年配の方から「一生懸命働くことが重要であって、お金のことばかり考えていたらダメだ」といった趣旨の説教をいただくことが多いように感じます。

 その一方で、日本では「時は金なり」ということわざにもあるように、時間を無駄にすることを、お金を無駄にすることにたとえて、戒める考え方もあります。

 働いて(=自分の時間を犠牲にして)得た収入は労働所得とされ、美しいとされます。一生懸命汗して働いて得たお金は美しいのですね。一方、資本拠出(=財テク)によって得た収入は不労所得とされ、美しくないとされます。あぶく銭は美しくないわけです。なぜ、労働所得は美しく、不労所得は美しくないのでしょう? 

 私たちは自分自身を支配する権利を持っており、自分自身のみに帰属するあらゆる資産を使って活動することができます(もちろん、他人に帰属する資産を暴力的に奪わないという前提です)。ここでいう資産は簿記・会計上の資産ではなく、自分にとって価値のあるものという意味です。ほとんどの人は自分自身の肉体と頭脳を一定時間使って商品・サービスを生み出し、それを他人に販売することによって収入を得ています。つまり、自分自身の肉体・頭脳・時間という資産を使って生み出されたものをお金に換えているわけであり、肉体・頭脳・時間という資産をお金に換える活動は賞賛されるわけですね。

 もちろん、自分自身に帰属する資産は肉体・頭脳・時間だけではありません。過去の活動で得たお金もまた自分自身に帰属する資産です。このお金を使って(他人・会社に貸して=株式・債券に変換して)、対価(利息・配当という名目)としてお金をもらうとあぶく銭と認識されることになります。

 でもちょっと考えてみると、後者の一部は前者と同じです。というのは、私たちは親から教育を受けさせてもらっているからです。つまり、親がもつお金が学校教育に投入され、私たちの肉体・頭脳を形成しています。まさに私は大学で勉強したことを使って皆さんから収入を得ているわけです。大学の学費の一部は親に負担してもらっています。ということは、親のお金が教育上の商品に変換され、私の頭脳になっているわけです。それを使って私は稼いでいます。一方で、私は私がもっているお金を株式の形に変えて配当や値上がり益を受け取っています。

 こうみると、他人(親)のお金に支えられて行っている活動は美しくて、自分のお金を使って行っている活動は美しくないということなってしまいます。自分のお金を使って自分の責任で行う活動(=財テク)は、労働と同じくらい美しいと思うのは私だけでしょうか?



小野正芳

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