教育支援プロジェクト
Educational Support Project

2017年12月 ソムニョ校 新校舎開校式

少数民族の文化を継承しながら、自走していくために

「学び」が、経済的な面だけでなく、精神や文化の面でも「豊かさ」に繋がるものであって欲しい。ラオスやタイなどで少数民族が暮らす地方部で教育支援に携わる際に、いつも私たちの胸に去来する想いだ。どの国、地域であっても、村の人たちの暮らしは日本人から見ると、とても質素だ。率直に言うと、とても大変な暮らしに思える。電気が通っていない家はざらにあるし、家具や服なども僅かしか持っていない。家族で農業に従事している家庭が多く、子どもたちは教育よりも仕事、家の手伝いが優先される。しかし、教育支援を求める村は大人たちの教育・学びに対する想いは強く、安定しない暮らしを変えたいと願っている。だから、私たちは少しのお手伝いをさせていただいている。
だが彼らの暮らしを間近にすると、「決して不幸ではない」とも思う。家族は協力し仲睦まじく、子どもたちも笑顔で駆け回っている。大人は子どもたちを温かい目で見守り、子どもたちも年配者を素直に敬っている。物質的には恵まれていなくとも、人としての幸福がそこにはある。先進国となって久しい日本が忘れてしまった面影を彼らに見てしまうのは、傲慢だろうか。

私たちが支援するのは、その国の中でもマイノリティな民族が暮らす地域であることが多い。だから学校で教えるのは共通語となる。資本が集まる「国の中枢」で使われる共通語が話せないことが、地域の発展を阻害する大きな要因となっているからだ。彼らは独自の言葉、文化を持ち、それをとても大切にしている。しかし、今の暮らしを変えていくためには否応でも、マジョリティの文化を吸収する必要に迫られている。古いものと新しいもの。変えていくものと、守り続けていくもの。その均衡を保つことも大切だ。
学校建設をはじめとする教育支援によって、人々が「自分たちの意志で、自分たちの望む未来を描ける」ようになる。彼らが自分たちの文化をこれからも継承していくためにも、教育・学びは重要になってくるだろう。

 

小学校校舎が老朽化で崩壊した村で

ベトナム戦争終結から約40年。古いベトナムのイメージを持っている方が、ベトナムの玄関であるノイバイ国際空港を訪れたら、その煌びやな優雅さに圧倒されるだろう。南部の都市ホーチミンに比べると、〝古都〟の趣を残す首都ハノイだが、空港への道は綺麗に整備されている。私たちが到着したのは22時。ライトアップされた橋が、ベトナムの近代化を印象付けるように眩い光を放っていた。
ホーチミン郊外のタップガイにも以前、学校建設支援を行った経験があるが、今回の支援先はベトナム北部のハノイから車で約3時間の場所にあるソムニョ村だ。村は、少数民族のタイ族・ダオ族・カオラン族・ヌン族から構成され、152余りの家族が生活している。主に農業や家畜を育てて生計をたてているが、村は山間部に位置し、灌漑用水などを引いて土地を潤すこともできないため土地は痩せており、生産効率は悪く収穫が少ない。現金の収入は非常に少なく、貧困から抜け出せないという。
以前は村に分校という形で小学校があったが、数年前に老朽化し崩壊してしまったため、現在は村の集会所で授業を行っている。集会場は1部屋しかないため、体の小さい低学年児童だけが村で学び、高学年の児童は4~5キロ離れた本校へ通っているそうだ。村や父兄の協力でなんとか仮設の学校を運営している状態だ。井戸やトイレもなく、衛生面でも不安を抱えている。子どもたち自身の学ぶ意欲と、親たちの学ばせたい意志があっても、それを満足に行えない状況であった。現地の環境と要望を加味して今回の教育支援では、分校を再度建設することで5つの教室を確保し、さらにトイレや浄水器・貯水槽を備えた井戸も整えることとなった。

 

子どもたちのための新校舎

開校式に先立って、新校舎で行われる通常の授業風景を見学させていただいた。ソムニョ校に到着すると、たくさんの子ども達がランウェイを作って迎えてくれた。私たちにとって、この瞬間が村の人達とのファーストコンタクトになるので、心が躍る。「ありがとうフォーサイト」という日本語でのお出迎えに対して、私たちもベトナム語で「シンチャオ(こんにちは)」「カムオン(ありがとう)」と返答する。
新校舎には生徒たち自ら壁に絵を描くなど、早くも愛着を抱いてくれているようで嬉しく思う。

 

ベトナムというと温暖な気候が想起されるが、北部にあるハノイの冬は予想外に冷える。ソムニョ村はさらに山間部に位置するため、子どもたちもジャンパーなど上着を着用していた。流石に教室にエアコンは備えていないが、それでも古い集会場よりも新校舎は冬の寒さからも子どもたちを守ってくれることだろう。なにより、大人の足でも1時間はかかる本校まで通う必要がなくなったことは、子どもたちの学習意欲にも好影響を与えるはずだ。

村の人々の暮らし

子どもたちが暮らすソムニョ村も訪問することができた。学校からはバイクで移動したが、道が全て綺麗に舗装されている事もなく、私たちにとってはちょっとしたアトラクションだった。バイクで埋め尽くされたハノイの町も圧巻だが、悪路でもバイクを自在に扱うソムニョの人々。端々からベトナム人の逞しさを感じずにはいられなかった。

 

彼らは基本的に自給自足の暮らしを営んでおり、「今日を凌ぐことも困難」なほどの貧困ではないそうだ。しかしそれは最低限度の話であって、子どもの教育などを考えると収入に余裕があるわけではない。差し出されたお茶が、バイクによる移動で少し冷えた体を温めてくれた。ソムニョ村があるタイグエン省は、ベトナムの中でも随一のお茶の名産地だという。


民族衣装に彩られた開校式

翌日の開校式では、村の方々が民族衣装で出迎えてくれた。日本でも認知度が高いアオザイから、ほとんどの日本人が目にしたことがないであろう少数民族独自の民族衣装まで、とても鮮やかだ。彼らがベトナムの文化、民族の文化を大切にしていることが肌で感じられる。

子どもたちだけでなく、学校の先生方も伝統的な衣装に身を包み、優雅な踊りを披露してくれた。ラオスでの開校式ではダンスが盛大に行われるが、ベトナムでは歌がよく登場する。舞踏に合わせて大人顔負けの歌唱力を見せる子どももいて、誰もが楽しくなる素敵な開校式となった。

若き村長の想いと共に

ベトナムは80~90%以上がキン族という民族からなり、それ以外に50を超える少数民族がいるとされる。ソムニョ校も複数の少数民族が合同で通う学校で、教員は主に都市(ハノイやタイグエン)から派遣されるそうだ。新しい学校が出来て、綺麗な校舎で学習できる事を村の人たちは歓迎しているが、まだまだ課題もある。その一つに、学校の先生が都市部から派遣されるため、「文化の違い」をどう乗り越えていくかにある。さらに言うと、ベトナム国内の標準的な教育が浸透することにより、もともとの民族固有の生活習慣や言語の継承に問題が生じないか。都市文化と伝統的な土着の文化の折り合いが、今後の課題となっていくと思われる。
ソムニョ村の村長は27歳と若いが、選挙で選ばれた、村民からの期待を受けた人物だという。村長は子ども達が良い教育を受けた後は、その知識を生かし、果物などの新しい作物を育てて収入源を増やしたいと語っていた。基本的には現在の村の生活習慣を維持しながら、所得水準を上げていく考えなのだろう。伝統文化を大切にしている彼らの想いを間近にした私たちは、それを聞いて安心していた。村長を中心として、学校が地域をよりよい方向に導いてくれるに違いない。
ソムニョの人たちは一歩ずつ、自分たちの力で、自分たちの望む「発展」への道を歩き始めたかのように感じた。文化の継承と教育水準の向上、これらを共に満たせる支援が出来ていることを、これからも見守っていきたい。