東大生ベトナム研修プロジェクト2016

ベトナム研修4日目

ベトナム滞在最終日となる8月10日、ドンズー日本語学校を訪問した。ホーチミンから車で約1時間で到着。300名弱の生徒が寮生活をしている。もともと、ドンズー校の校長先生を務めるホーエ先生とのご縁から、今回の研修が実現した経緯がある。校名になっている「ドンズー」は「東遊運動(ドンズー運動)」からきていて、20世紀初頭に多数のベトナム人青年が日本に留学した歴史が元になっている。

数多の戦争・紛争に見舞われてきたベトナムは、太平洋戦争によって荒廃しながらも〝奇跡の〟復興を遂げた日本への興味が非常に強い。研修の事前学習でも、留学生のヴィーさんからベトナムの学生はそのあたりのことを知りたがっていることは伝えられていた。

平成生まれの東大生は、もちろん戦争を経験していない。「戦後復興」どころか、「高度経済成長」「バブル」すら、ピンとこない世代だ。日本のことを外国の人にどう伝えるか―。東大生にとって、今一度自分たちの国を考えるきっかけになったことだろう。

  • ドンズー校に掲示されている「学生の誓い」
  • ドンズー校で学ぶ生徒たち

ドンズー校生徒との交流

東大生、ドンズー生それぞれグループ発表を行ない、各テーマに沿ってディスカッションを開催した。ドンズー側の発表テーマは「卒業後の進路」。就職するか、起業するか―彼らの中には、実際に起業を考えて勉強に励んでいる生徒もいるようだ。授業でパワーポイントを使ってのプレゼンテーションも学んでいるドンズー生は、日本語で丁寧に発表を行なった。寸劇も交えながら発表するグループもいて、東大生も笑顔を覗かせる。

東大生側は、「日本の戦後復興と発展」をテーマに設定。日本の経済の歴史に触れながら、資源の無い日本がなぜ豊かな暮らしを続けられるかを発表した。ドンズー生が聞き取りやすいよう、一言一言、間を置き、はっきりと話す東大生。激しい受験競争においては、他者のことを思いやるという経験はなかなかできない。今回のドンズー生との交流は、相手の立場に立ち、「いかにして自分たちの想いを伝えるか、共感を得るか」を実体験する場となったのではないだろか。

発表の合間にも、ドンズー生に質問を投げかける東大生。一方的なプレゼンテーションにならない配慮が伝わってくる。彼らが上からの目線でなく、ドンズー生と対等な交流を意識していることが、非常に嬉しく、頼もしく感じた。

  • どちらも真剣なドンズー校生徒と東大生
  • 日本についてプレゼンテーションを行う東大生
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東大生の報告書より

上田さん 理科一類2年生 上田さん

彼らは起業することのメリットデメリットについての話をした。起業なんてほんの一部の人にしかできないものだと思っていた僕とは違って、起業を進路の一つの選択肢として持っている彼らが眩しかった。実際起業するつもりの人はいるか訊いた際ちらほら手が上がっていた。

僕自体は学科選択さえ直前まで決めず大学院からは海外に行こう程度しか決めてなく、将来の夢は何かときかれても答えに詰まってしまうそんな人間だ。それに対して目標を持ってそこに一直線に突き進んでいる彼らは強いなぁと思うし憧れる。彼らとの交流は再び将来について考えるきっかけになった。

日本・ベトナム 学生たちがお互いに得たもの

ディスカッションの後、記念撮影を行ない食事となった。揚げ春巻きなど、ベトナム料理を一緒に作り、共にテーブルを囲む学生たち。食卓でもハエが飛び交うのが当たり前のベトナム。日本ではなかなか体験しない環境にやや戸惑いつつも、談笑しながらランチの時間は過ぎていく。

今回の交流を終えて、ドンズー生は「緊張したけど自分の将来のことを考えたり、日本人の学生とたくさん話すことができて良かった」と感想を伝えてくれた。先生方も、「実際に日本の学生さんと交流できる機会が本当に少ないので、大変いい機会をいただいた」と喜んで頂いた。

東大生は、「ベトナムの学生は将来の展望や考えが、地域のために、親のために…と常に他者や社会に対して何ができるかを念頭に置いている。その上で日本で学びたい、だから日本語を学ぶ、と具体的なアクションに繋がっている。海外の若者が、そのようなことを考えていることを知れたのは、自分にとって大きな進歩だと感じている。」との感想を寄せた。

また、将来は教育に携わりたいという東大生は「恥ずかしげもなく夢を語れる場所だと感じた」とドンズー校を表した。そして、「日本でも学校をそんな場所にしたい」と語った。

  • ランチを一緒に調理
  • ドンズー校生徒たちと記念撮影
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東大生の報告書より

松永さん 理科一類2年 松永さん

ドンズーの学生たちは自分の将来をはっきりと思い描いている。これは彼らが入校初期に重点的に指導されるところであるようだ。発展途上国のベトナムから日本に留学し、高い水準の教育をうけてそれを自分に対してなり、国家に対してなり、どのように今後に活かしたいのかと考えることによって学生たちは強い責任感を持つ。このようなはっきりとした将来設計を、おそらく多くの日本の大学生はしていないだろう。

多くの大学生はただ曖昧に毎日をやり過ごし、将来については漠然とした目標を抱くことはあるものの、それに向かって真っすぐ突き進むという人はあまり見ない。これは日本が今や豊かな国となっており、そこまで切羽詰まって何をどうしたいのかと考える必要がないからかもしれない。また、今までただ良い学校に入るためにそこまで考えが回らなかったことも原因として挙げられるかもしれない。

実は私もこのような傾向があったが、そのためかドンズーの学生のような姿勢がとてもかっこよく見えたのだ。恥ずかしながら、ドンズーの学生と出会ってモチベーションを高めた私は、彼らを参考にし、自分の将来を考え直すことにしている。

村上さん 理科一類2年生 村上さん

ベトナム滞在中にも感じていましたが、特に帰国後の彼らとのやりとりで、日本が彼らからどれほど期待されているかを感じます。「それはベトナムでは学べないの」「それをベトナムに導入できればもっといい社会になるよ」という彼らの声を聴くとき、ベトナムの人々にとって日本がいわば夢の国のごとく感じられているように思います。

近年国際競争力が落ちていると言われていますが、期待する彼らを絶対に失望させないように、日本もまた発展していかなければいけない、我々が発展させていかなければならないと強く誓うとともに、彼らからも自らの足りない部分を学ばなければならないと思います。

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研修後の感想から見える〝気づき〟

ドンズー校での交流を終え、戦争博物館などを見学した一行は、その日のうちに東京への帰路に就いた。熱帯の気候で体力は消耗し、食あたりに見舞われる東大生もいた。そんな状態でも、ホテルに戻ってからも自主的に明日の準備に勤しみ、ベトナムの学生たちに懸命に言葉を伝えた彼ら。

事前に考えていたようにスマートにはいかなかったかもしれない。真の意味で意識の高いベトナムの学生たちに圧倒もされた。現地の学生でさえ、足を踏み入れたことがない現場に赴き、教育格差を目に焼き付けた。豊かとはいえない生活の中でも、幸せそうに笑う子どもたちに胸を打たれた。

自分たちが当たり前に享受してきたものを、見つめ直す機会になったと話す彼ら。今回の研修が、すぐに彼らの価値観や将来を変えるとは思わない。ただ、彼らの報告書には数々の〝気づき〟が記されていた。今後、その気づきが実践へと進んでいくものと思う。これからも応援を続けたい。

東大生の報告書より

村上さん 理科一類2年生 村上さん

保育園から大学まで、すべて都内の学校に通っていた私は、不自由ない生活を当たり前とし、それゆえ自分が何かを変えていかなければいけないと強く思うこともほとんどありませんでした。あまり良い表現ではありませんが、ある程度のお金さえ稼げれば今の生活を維持できるし、それでよい、という考えがなかったといえば嘘になります。もちろん、自分なりに将来やりたいことを考えてきたつもりですが、明確な目標はありませんでした。これはおそらく私だけではないでしょう。日本全体が現在の生活を当たり前と思い、「現状を維持すること」を重視しているように思うことがしばしばあります。

今回の研修では、この「当たり前」の生活への見方が大きく変わりました。東京と変わらない生活を送れるホーチミンの街と、チャーヴィンのような田舎町を見比べ、そこに住む人々の意見をそれぞれ聞けたことで、「富裕層」とはいかなるものか、初めて実感できました。ベトナムの基準でみれば、日本人の大部分が「富裕層」に含まれるでしょう。日本での生活は豊かであり、決してその生活が当たり前ではないことを痛感しました。

島田さん 文科三類2年 島田さん

教育格差の問題はベトナムに限ったものではない。日本でも住んでいる地域や家庭の経済事情による教育格差は未だ残っている。受験競争が熾烈化し、質の高い教育を受けられたか否かでその人の人生が大きく左右されてしまう現在の日本において、教育格差の問題はその構造や影響の面でベトナムにおけるそれと本質的に同じものなのではないかと思う。

そう考えると、ベトナムの教育について考えることはある側面で日本の教育について考えるのと同じことであり、決して他国だけの問題でなく、他人ごとではないのだと気が付く。ベトナムの教育問題に対峙することは、日本人にとってもはや単なる海外支援ではなく、自国の抱える問題への挑戦なのではないかと思わされた。

  • タップガイV小学校の生徒と
  • 「SUGAR」学生と

東大生の報告書より

吉田さん 文科二類2年 吉田さん

僕には大きな夢はなく、その都度幸せを感じられていれば良いというのが目標なぐらいでした。しかし、夢をもって生きている人たちが学びたくても学べない環境にいる世の中で、自分から動けば大体のものが手に入る大学にいながら大した夢も目標もないのは、すごくもったいないことだと感じました。

こうしたことを考える機会や、貴重な経験を得られて、ベトナムで日本とは違いすぎる環境を見てきて良かったと思っています。

栂野さん 文科一類2年生 栂野さん

教育云々以前に都市としてのインフラの整備も必要であること、子どもには教育をうけるよりも働いてほしいと思う親心、逆に何とかして良い教育を子どもに受けてほしいが経済的な問題に直面して悩む親心、また勉強は楽しいからもっと勉強したいと思う子ども達の気持ちなどの問題は、たとえインターネットで情報を集めたとしても、なかなか外からはわかりにくい問題です。なのに、そうした個々の具体的な問題について十分に検討せずに、教育格差の問題として一括して画一的に考えてしまうのは、問題の本質を捉えきれないと思います。

では、格差問題にどう向き合えばいいのか。その問いに対して、今回の研修の体験をもとに現時点で(勿論今後修正しえますが、)僕が思う最適解は「実体験を以て格差に向き合う」というものです。チャーヴィンの様々な問題に気づけたのは、実際にその地で泥まみれになりながら、その地の子どもやそのご家族のお話を聞くという実体験ができたからなのは間違いないと思います。

日本のあらゆる格差問題についても、「実体験を以て格差に向き合う」という態度がベストなのではないかと現時点では考えています。例えば、経済格差問題に関して考えるときも、貧困層と呼ばれる層に関して、データやネット上の情報のみで理解しようとするのは不可能であって、実際に話を聞く、その地に赴くといった1次的な実体験が必要不可欠だと思いました。

安達さん 文科三類2年生 安達さん

この研修で本当にいろんなことを考えました。自分がいかに恵まれていたか、自分がいかに未熟な人間であったか、逆に自分がどの分野で輝くことができるのかという自分自身に関すること。日本とベトナムがどう違うのか、日本人とベトナム人がどう違うのか、逆に人間として文化にかかわらず共通することは何か、という文化に関すること。思い返すときりがありません。

ベトナムに行って「豊か」という言葉の持つ意味をもう一度考えなければいけないなと思いました。2日目に訪ねた家庭訪問、学校の起工式。そこの子供たちは確かに経済的には「貧しい」のでしょう。しかし、夢を語り、僕らと一緒に一生懸命遊び楽しむ彼ら彼女らの姿を見て、「貧し」くても心は「豊か」なんだろうなと感じました。同じことを4日目のドンズー日本語学校の生徒たちとの交流でも感じました。

彼ら彼女らは明確な夢を持って日本の大学に留学することを目指しています。そのためにある授業を全く苦とも思わず、学校の先生を尊敬しています。これもまた心がとても「豊か」であることを感じさせました。一方で「豊か」とされている日本の学生はどうでしょうか。授業を苦痛ととらえ、先生に対する敬意は大きいとは言えません。

これはもしかしたら経済的に「豊か」なホーチミンシティの高校生たちも同じなのではないかと思います。3日目のSugarとの交流で学校について質問してきたときに返ってきたのは僕らと同じような言葉でした。もちろん、日本やベトナムの富裕層の心が「貧しい」と断言するわけではありません。ただ、経済的な「豊かさ」に目を奪われて、心の「豊かさ」をおざなりにしてはいけないと強く感じました。