通信教育のフォーサイトプレゼンツ
「資格に関するエッセイコンテスト」に
ご応募いただき、誠にありがとうございました。
ご応募いただいた282作品の一つ一つに
「資格取得を通じた豊かな人生」が描かれていて
当初予定していました5作品に
絞ることができませんでした。
受賞枠を拡大し、特別賞を加えた
全9作品を入賞作とさせていただきました。
私は、娘二人を持つシングルマザーです。平成25年の夏、夫が48歳という若さで他界しました。突然の出来事でした。仕事を終え、夕飯、晩酌を楽しみ、「少し疲れたから寝るわ」と就寝。それが夫との最後の会話。突然夜中大きないびき、これは変だとすぐ救急車……病院で死亡が確認されました。司法解剖の結果も死因は不明。「突然死」というものでした。
7月の強い日差しが照りつける中、通夜葬儀。退職の手続き。生命保険、遺族年金、住宅ローン銀行への抵当権抹消手続き。相続手続きに追われ今思い出しても、思い出せないくらいにただ必死だったのでしょう。しばらくすると、生活がとても不安になりました。
不安な気持ちをどこへぶつけたらいいかもわからない日々を送ることになり二年近く、床に臥せる日々が続き、「私が強くならなきゃ」って思えば思うほど「自分の力の無さを痛感する」日々でした。
家族、友人に支えられ、ハローワークの扉を叩けるようにまでなった時に、私を助けてくれたのが、「資格」でした。
簿記二級、建設業経理事務士二級の資格。この資格で税理士事務所へ内定が決まりました。
職場で社会保険、税金の知識を必要とする給与計算に出会い、当時の私は給与計算の知識はゼロ。給与計算の検定を知り、勉強し資格をとりました。社会保険や税金について興味が湧き、FPの資格に向けて勉強するようになりました。
この知識を持っていたらあの時、不安にならなくても、心を強く持てたのかもしれない。そう感じるようになりました。
そんな私も今は、会計事務所の正社員として税法の勉強もしながら、充実した日々を過ごしています。人生何があるかわかりません。それが楽しみでもあるし、不安でもある。
でも知識や備えがあれば不安は少ないことでしょう。自身の経験で感じたことです。
私は今回FP2級を取得、夢であったAFPに登録ができました。FPとして沢山の人の夢や希望、そして笑顔を増やせたらと思います。
資格は、「人生の勲章」だと思います。自分自身の「誇り」です。
「夢を形に」を生きがいに人生を豊かにしていきたいと思います。
私の最終学歴は「高等学校卒業」だ。特別進学クラスにいながら、家庭の事情で大学進学を諦めざるを得なかった。同じクラスの生徒は勿論、全員が大学に進学した。そうした環境で卒業式を迎えた私の胸の中は、悔しさでいっぱいだった。自分だけが、たったひとり、別の道に進まなくてはならない……。
これといった資格も持っていなかったし、何よりも「高卒」というのが私にとっては、大きなコンプレックスとなった。だが、私はその怒りにも近い悔しさをバネに、ある資格を取得することに決めた。「行政書士」だ。
大学進学を諦めた理由を、「家庭の事情」と述べたが、その中身は、「両親の離婚」だ。その際の、敏腕弁護士との出逢いが、私の興味を法律の世界へと導いたのだ。法律によって、物事がスムーズに解決していくことへの驚き。そして何よりも、依頼者に寄り添う姿が、17歳の私にとっては輝いて見えたのだ。
それから、漠然とではあるが、「法律に携わる仕事がしたい」と思うようになった。自分の力で、手が届くものから始めようと思い、「行政書士」の資格を選んだ。少々時間は掛かってしまったが、資格取得に成功した。
履歴書の資格欄に、その名前が入る。学歴へのコンプレックスを少しだけカバー出来るような気がした。
あくまでも、資格は「手段」であって「目的」ではない、と言われる。だが、かつての私のように何か自分に足りないな、と自信を失くしかけている人にとって資格を取得することは自信を取り戻すひとつのきっかけになると思う。
私は、法律事務所で事務員として勤務した。そこで新たに、何人もの弁護士との出逢いがあった。皆、人間的に魅力のある人ばかりだった。
まだ行政書士の資格を活かし切れてはいない。だが、私にとってこの資格は、新たな世界へと導いてくれるお守りのようになった。
中一のとき、突然ぼくは学校へ行けなくなった。体が震えて登校できない。こんなぼくを誰も理解してくれない。まるで犯罪者扱いされ、毎日のように両親に叱られる。先生は無視。ぼくの存在はどこにもない。部屋から出ることなく、完全に引きこもりとなってしまった。時間だけが経過し、ぼくは17歳になっていた。完全に昼夜逆転の生活で、なんとかしたくても、どうすることもできない。外に出る第一歩として、とりあえず毎朝7時、コンビニにスポーツ新聞を買いに行くことにした。
近所にある薬局のおじさんが、鼻歌を歌いながら毎日ゴミ拾いをしている。三カ月くらい経ったある日、あいさつされた。「おはよう。毎日会うね」ぼくは無視した。翌日も、翌々日もあいさつされた。「おはようございます…」最初は蚊の鳴くような声であいさつを返したが、少しずつ会話するようになっていった。「昨日はファイターズが勝ったね」「はい。今日のスポーツ新聞の1面です」
ぼくは5年間も引きこもっていることを打ち明けた。「大丈夫、大丈夫。人生は長いから焦ることないよ」はじめて自分が肯定されて、心がスーッと軽くなるのがわかった。
「ぼくも薬剤師になりたい」
一念発起して、薬科大学への進学を決意。2年かけて高卒認定を取得し、そして一浪して薬科大学に合格した。しかし勉強についていけず、早くも留年。7年かけてどうにか卒業したが、国家試験に不合格。今年3月、二度目の受験でついに合格し、この春、その薬局に就職することができた。ここまで来るのに10年以上費やした。授業料を賄うため、両親はお酒をやめ、田畑を売った。
ものすごく遠回りしたが、ぼくはいま、薬剤師として病気やけがで苦しむ患者さんに寄り添うことはもちろん、不登校や引きこもりで悩む人たちとも会話を重ねている。同じ目線で。
今から六年前、私は乳がんを患った。告知直後から、検査や手術、抗がん剤治療などのため、約一年ほど慌ただしい日々が続いた。治療が一段落ついた頃から、気分の落ち込みや不眠に悩まされ始めた。身体は治療を受けたけれども、心の方はがんを受け入れられなかったのだろう。悩んだ末、精神科を受診したところ、うつ病との診断を受けた。最初の頃は精神科に対して抵抗があったが、医師による精神療法等が功を奏し、うつ病の方も少しずつ回復してきた。しかし、がんになり、さらにはうつ病にまでなった自分が情けなく、厄介者のように思えて仕方なかった。
そんな矢先のこと、通信教育で調剤事務管理士の資格を取得できることを知った。クリニックの受付で働いていたことがあった私は、ぜひこの資格を取りたいと思い、早速受講の申し込みをした。ところが、届いたテキストを読んでも学生時代のようには頭に入らない。たちまちこの年で勉強なんて無駄だ、もう諦めようと考えた。がんだし、うつ病だし、しょうがないではないか。夫や家族だって分かってくれるだろう。だが、それは逃げではないかとも思った。やってみる前から周囲と、そして自分自身に対して都合のよい言い訳を用意していたのだ。そう気づいた時から猛勉強を開始した。試験まで一カ月しかなかった。迎えた本番、手応えはあった。無論、結果が分かるまでは何とも言えないが、心の中は力一杯やりきった達成感にあふれていた。
約一カ月後、結果通知が届いた。見事合格だった。嬉しかった。こんな自分でもやればできるんだと自信がついた。病気で参っていた心に爽やかな風が吹き込んだ。
乳がんもうつ病も現在もまだ治療中である。けれど私は、この資格取得を通じて、知識だけではなく、決して諦めない心を学んだ。いつかこの資格を生かし、また働ける日がくることを信じて、闘病に励んでいきたいと思う。
私は、相続業務をしている新米行政書士だ。開業早々、生涯忘れられない仕事に出合った。
孤独死した末弟の相続手続きをやってほしい、という長兄の方からの依頼だった。
早速、相続人を確定するため戸籍謄本等を集めた。次の段階で問題が発生。長兄の方が一面識もない次兄の長男と連絡が取れないというのだ。何度も手紙を出したが、返事が来ない。そこで私が手紙を書くことになった。
大役を果たす自信はない。母子家庭で育った共通体験を足がかりに、私が双方の連絡係になることを書いて送った。すぐに電話がきた。父親の名前も、死んでいることも知らなかった。先方と関わらず、書類のやり取りだけで済むなら進めて欲しいと言われた。
その旨を長兄に伝えた。納得しつつも「私にだけは会って欲しい」と断言された。他の相続人と会いたくないという人に、一歩踏み出してもらうには……。難問を突き付けられた。
次の手紙には長兄の要望を書き、私の父の思い出に触れ「あなたもお父さんの故郷で、お父さんの足跡をたどってほしい」と送った。
しかし十日経っても返事がない。三度ペンを取った。長兄の要望に対し、悩んでいること、返事が出来ない事情を教えて欲しいと。それも駄目だった。時間だけが過ぎて行った。
意を決して電話をかけた。しかし、出てくれない。それでも電話をかけ続けた。三日目、三十回近く呼び出し音が鳴ってようやく出た。
緊張で声が震えた。これで駄目なら私はこの仕事から手を引く。その覚悟で思いの丈を喋った。「わかりました。伺います」。嬉しい返事に涙がこぼれた。
初めての対面に私も同席した。「あなたのぬくもりのある言葉に心を動かされ、来ることができました」。次兄の長男が私に言ってくれた言葉が忘れられない。
今後も仕事で難しい局面にぶつかるだろう。その時は、この言葉を思い出して頑張るつもりだ。「必ず気持ちは通じる!」と信じて。
学び始めたきっかけは、自分の子どものことを理解したかったから。小さな頃の息子は、とにかく手がかかった。次に娘が生まれた時はまったく手がかからず、拍子抜けした。ただ、手がかかる息子だったが、他人への優しさは溢れていた。それは今でも続いている。
発達障がいの診断を受けたのは、息子が3歳の頃。何となく覚悟はしていた。何もなければラッキーと考えるようにしていた。「私の人生に暇な時間は無い」と自分を鼓舞した。
少しでも発達障がいの知識を得ようと、友人から紹介された講座に通い始めたのが8年前。
講座で最初に問われたことは「人はなぜ学ぶのか?」だった。「人の役に立ちたいから」「知識を得たいから」ありきたりの答えしか浮かばなかった。教授の答えは「強くなるため」だった。「誰かや何かに負けないこと」かと思ったが違っていた。「心を強くすること」だった。人生の様々なつまずきや選択を乗り越えるには、心が強くなければいけない。心を強くするためには、自分で考えて学ぶことだと教えられた。私は3年かけて資格を取得した。
私の今の仕事は、東京都の小学校特別支援教室専門員。3年前にできた新しい職種で、私はいわゆる一期生になる。発達障がいの児童が通う、通級指導教室で働いている。まさか、私が小学校の職員になるとは考えていなかった。私にとって大きな挑戦ではあったが、この仕事に就いて良かったと思っている。自身の経験から、児童と保護者の不安や希望が理解できるし、学校や教員の悩みを知ることができた。更に、資格を生かして、このような方々の少しでも助けになりたいと励んでいる。
電話のベルが鳴る。
「救急救命士の資格を取るため、半年間、九州へ行ってくれないか」という上司からの電話の内容である。当時の私は、まだ幼い娘二人を育てている最中であり、半年の間、女房ひとりに子育てを任せておける状況にはなかった。おまけに、この資格は制定されたばかりの国家資格であり、今まで搬送主体の救急業務を実施していた消防救急のなかで、これからどういう形で運用していくのかさえ、不透明な部分がある、生まれたてほやほやの資格だった。
心の中で私の腹はほとんど決まっていたが、女房のひと言で九州行きが決まる。
「将来、あの時に九州へ行っていたほうが良かったと思うことが一度でもあるのなら、行ってください」
と言うのである。
あれから二十二年。
私もなんとか来年、定年を迎える。資格取得以来約二十年間、救急隊員として業務を遂行してきた。たいした地位も財産も無いけれど、この資格を通じて様々な人達との出会いがあった。一生付き合っていく友とも出会えた。
一度しか無い人生。決して後悔の無い人生にしたいものである。たった一つの資格が、これほど多くの財産を生んでくれたことに感謝する。
もしもあの時、女房のひと言が無かったら。
「ありがとう」
「母さん、もう無理なんじゃね」と息子から言われた一言。
5回目の学科試験に落ちた時のことだった。親子だけにこの一言はかなりショックだった。
母子家庭になり、頑張って稼がなければ!と思い、金融関係の契約社員になった時、何か資格を取得しようとまずはFP3級を取得。その勢いでFP2級を取得しようと試験を受けたが、実技のみ合格。次は受かるよと何気ない周囲の励ましと楽観的に考えていたため、2回目の試験結果も不合格、この時はまだFP2級をなめていた。3回目も不合格……この時はもう投げやりになっていた。ここから1年は受験しなかった。
しばらく忘れていたFP2級、転機は契約社員から正社員への登用。金融関係のため、業界資格の保有数が、昇給、昇格に関係してくる。これはもう取得しなければと一念発起。新しく教材を購入し勉強した。このとき、実技試験一部合格の有効期限が最後の試験だった。
結果は不合格。ショックだったが、落ち込んでいる暇はなく、次回の試験に向けて勉強を続けた。結果は実技のみ一部合格……また同じ結果に。
そして息子からの一言。46歳、年齢的にも無理なのか?一生、この資格は取得できないのか?等々いろいろ落ち込んだが、それ以外にも日々業界資格の取得が必要な仕事のため、一年以内に取得する!ことを自分に決めた。
そして一年後、準備万端で挑んだ6回目の試験、問題を解き始めて、なんだか簡単だと思い結果、60点満点で46点取得でき無事合格!
もちろん息子にも報告すると「母さんスゲー」とびっくりされた。たかが資格、されど資格。取得したことで、自信がついたことはもちろん、人生あきらめたらダメだと改めて実感。今はまた別の金融関係の資格取得に向け日々勉強の毎日です。
人生100年時代に突入する中、将来年金だけで生活するのは厳しい。自分の未来のためにも資格は必須です。
わたしはそろばんをならっています。
ようちえんからはじめました。
いえのまえのこうみんかんでしてます。
いまはじゅん6きゅうです。
いつも1時間ぐらいします。
そろばんをならっていると、
ともだちがふえました。
けいさんがはやくなりました。
さんすうがすきになりました。
そろばんがすきになりました。
これからもすきです。
通信教育のフォーサイトプレゼンツ 「資格に関するエッセイコンテスト」にご応募いただき、誠にありがとうございました。
多くの方が、資格の取得を通じてそれぞれの「豊かさ」を叶えていただければ幸いです。
「学びで人生を豊かに」という私たちの企業理念を実現するため一層励んでまいりますので、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。