とかく、解くことに夢中になると、作問者が意地悪をしている、何か陥れようとしているという気持ちになることはないでしょうか?
実は、作問者のスタンスとしては、「正しく読んでもらえれば解けるはず」というのが前提です。
いちゃもんを付けられるのも嫌ですし、とにかく「理論的にそうなるしかない」という水準まで検討するはずです。
となれば、
①文章を繋げないようなところで切断することはしない
②ヒントになりそうなところを残しておきたい
というような心理にかられるのもご納得いただけるのではないでしょうか。
とりあえずひとつ、元となる文章を見てみましょう。
震災直後、昌平橋際に昌平橋食堂というのが出来た。一日私はここへ昼飯を食べに行ったことがある。朝食十三銭、夕食十五銭であったように記憶している。が、気付いたことは代金の割に非常に品質が吟味してあり、来ている客が礼儀正しく、静粛であったことである。私はこれはどうした訳だろうといろいろ詮索した。よく聞いて見ると、ここでは月々三百円位の欠損をしているが、この金額だけは市の補助を仰いでいたとのことである。この事情、普通の営利主義の食堂とこと変り、ただ客の便宜を計る外に他意がないものであるという事情を客がよく知ってかくも静粛であり礼儀正しいのであるという話であった。これは特別の場合であるが、普通の商店でも客のための真の利益を常に念頭におくことによって顧客教育は完成される。
さて、これで問題をつくるとすればどうしますか?
文章ごとに切断してみてみましょう。
震災直後、昌平橋際に昌平橋食堂というのが出来た。
一日私はここへ昼飯を食べに行ったことがある。朝食十三銭、夕食十五銭であったように記憶している。
(これで前の文の「食堂」とつなげそうだな)
が、気付いたことは代金の割に非常に品質が吟味してあり、来ている客が礼儀正しく、静粛であったことである。
(「朝食十三銭、夕食十五銭」と接続できるな)
私はこれはどうした訳だろうといろいろ詮索した。
(「これはどうした」というように驚くような内容が直前に来るのでつなげてもらえそう)
よく聞いて見ると、ここでは月々三百円位の欠損をしているが、この金額だけは市の補助を仰いでいたとのことである。
(「詮索」と「よく聞いてみる」は同内容だからいけるだろう)
この事情、普通の営利主義の食堂とこと変り、ただ客の便宜を計る外に他意がないものであるという事情を客がよく知ってかくも静粛であり礼儀正しいのであるという話であった。
(「営利主義と違う」のであれば、「損している」という文章とつなげて筋が通るな)
これは特別の場合であるが、普通の商店でも客のための真の利益を常に念頭におくことによって顧客教育は完成される。
(普通とは違う特別の場合、というところから前の文章とつなげやすいのでは?)
というような思考回路を踏んでいくのが一つの流れです。
悪意を持ってだましてはきません。
落ち着いて、作問者の気持ちになりきってみるのも手です。