低価格の通信講座を始めた訳

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よく、「なぜ、低価格の通信講座をはじめたのですか?」と聞かれます。その答えは、私の生い立ちにあります。少し長くなりますが、お付き合いいただければ幸いです。

幼少期

私は昭和37年6月18日、名古屋市東区に生まれました。

家族は、父・母・兄そして、私の4人。家は3軒長屋の真ん中でした。4畳半と6畳の家でした。風呂すらありませんでした。風呂は近くの銭湯に行きました。かなり貧乏でした。

小学生時代

小学校は矢田小学校に入学しました。

ほとんどの子供は小学校に入ると自分の机を買ってもらいましたが、私にはありませんでした。机を置くスペースもお金もなかったからです。

4年生ぐらいになると、同級生のほとんどが塾に通いはじめました。私も行きたいと思いましたが、お金がなく通うことができませんでした。何度も何度も、泣きながら母親に「塾に行きたい」と訴えました。しかし、行かせたくても、行かせることができなかったのです。

ただ、塾に行っていなくても、通知表は5が半分、4が半分と、まあまあの成績でした。

中学生時代

中学は桜ヶ丘中学に入学しました。

この中学は、名古屋市でお金持ちが集まる徳川町が学区の半分を占めていたため、学力レベルも県下で1・2位を争うレベルの高い学校でした。当然、ほとんどの同級生は塾に通っており、塾に通っていないのは私だけでした。このときも、母親に何度も「塾に行きたい」と頼みましたが、叶わぬ夢でした。

当時、医者になりたいと考えていました。だから、家の近くにある県立旭丘高校という進学校にどうしても進みたいと考えていました。

当時、愛知県の高校受験システムは群制度を採用していました。第2群は旭丘高校・千種高校 第3群は旭丘高校・北高校でした。この群制度というのは、自分の志望する群を受験し、どちらの高校に行くかは合格後に自動的に振り分けられるという理不尽なものでした。第2群はかなりレベルが高かったため、私は、第3群で受験しました。

合格はできましたが、志望していた旭丘高校ではなく、北高校に進学することになりました。

高校生・浪人生時代

北高校は自宅から15キロ離れたところにありました。普通ならバスで通学する距離ですが、交通費が払えないので、自転車で通学しました。授業のレベルも低く、勉強する雰囲気はありませんでした。入学してすぐに退学することも考えました。ただ、退学すると大学受験自体ができなくなるので、高校に居ながら、勉強することにしました。

まず、本屋さんで東大・京大の合格体験記を読み漁りました。その中に書いてある役にたった参考書を集めました。もちろん、この参考書も古本屋で集めました。新本を買う余裕がなかったからです。

ただ、お金がないと中古の参考書すら買うことができません。土曜・日曜日は朝10時から夜10時までアルバイトをしました。中華料理屋の洗い場で、皿洗いをしました。そして、帰宅後、夜中の2時まで勉強しました。アルバイト代のほとんどが、高校の授業料と参考書代に消えました。

何としても東大法学部に行きたいと考えていましたが、名古屋から東京に出て、すべてのお金を自分で稼ぐというのは無理だと考え直し、地元の名古屋大学法学部に目標を変更しました。

3年生の時、共通一次試験を受験しました。模擬試験ではいつもいい成績だったのですが、なぜか本試験では散々の成績となり、浪人することにしました。ただ、浪人といっても、予備校に行くお金がありませんでした。そこで、自宅浪人にしました。

母親に毎日おにぎり2つとお茶の入った水筒を用意してもらい、近くの図書館に通いました。1年間の計画を立て、それを各月に落とし込み、さらに、それを週に落とし込み、勉強を進めました。もちろん、アルバイトも続けました。アルバイト代は参考書代と予備校の模擬試験代となりました。

ひとりで勉強を進めるという作業は精神的にかなり辛いものでした。予備校に通う方が効率的にも、精神的にも楽だと感じました。しかし、予備校に通うお金がなかったのです。

大学生時代

1年の浪人後、無事、名古屋大学法学部に入学しました。

目標は司法試験に合格し、弁護士になることでした。ただ、当時の司法試験は合格率1%、平均合格年齢30歳という過酷な試験でした。2年生の後半から本格的に勉強をはじめましたが、4年生でも惨敗。やむなく、1年間留年をし、5年生の時、第2次試験の択一式試験には合格しましたが、第3次試験の論文試験に失敗しました。

当時、司法試験=資本試験と言われていました。つまり、大学を卒業して約10年間、無職のまま勉強を続けられれば合格できると言われていました。その間、食費や予備校代などの費用は親が負担するのが通常でした。だから、貧乏人は司法試験を受験すべきではないと言われていました。

大学卒業後

このような事情から、司法試験を断念し、就職しました。

そして、いろいろな経験を経て、30歳の時に、フォーサイトを創業しました。

このように、私は、塾に通ったこともなく、予備校にも通ったことがありません。なので、自分の頭の中で考える「理想の学校」を作りたいと思いました。そして、その際、お金がなくても受講できるように、なるべく受講料を安くしたいと考えました。

以上が、フォーサイトの受講料が安い訳なのです。