保育士講座の講師ブログ

第二次大戦後のイギリスで提出された報告

先日、私のtwitterアカウントにおいて
第二次大戦後のイギリスで提出された報告について問題を出題しました。

この問題の正解は✕です。
カーティス委員会報告ではなく、
ベヴァリッジ報告が正解です。

ベヴァリッジ報告が提出されるまでの時代背景を見てみます。

19世紀のイギリスは、18世紀後半から始まった産業革命によって、
農業から工業へと経済の中心が転換し、農民は職を失い貧困に陥っていました。

貧困層の増加による治安悪化などが問題となり、
19世紀末にブースラウントリーがイギリスで貧困調査を行いました。
この調査でイギリスの労働者層の貧困状態が明らかになりました。

当時のイギリスでは、貧困の原因を個人の欠陥(勤労意欲がないなど、)が原因と考えられていましたが、
賃金の低い仕事しかない、働いていた会社が突然倒産し職を失ってしまったことなど、
個人の努力ではどうにもならない問題が貧困層を増やしていったことがわかりました。

イギリス政府は、ブースとラウントリーの報告を受け、
第二次大戦後、地域福祉の向上に着手していきました。

そうした中で、
1942年にベヴァリッジ報告が提出されました。
この報告では、
社会生活を脅かす5つの巨人悪として、
「窮乏」「疾病」「不潔」「無知」「怠惰」を挙げ、
この5つを解決する社会保障制度の重要性が指摘されました。

また、ベヴァリッジ報告では、
国民の最低生活は、国が保障すべきとするナショナルミニマムの概念が提唱されました。
ここで示された「ゆりかごから墓場まで」は、社会保障制度の考え方の基礎となりました。

一方、カーティス委員会報告は、ベヴァリッジ報告の後の1946年に提出され、
要保護児童の保護に関して、里親小規模施設を活用すべきとの見解が示されました。

また、1948年には「児童法」が制定され、
子どもの利益と福祉を守ることは政府の責任であることが明記されました。
また、できる限り児童を家庭から分離せず、
必要によっては里親委託を推進することを示しました。

第二次世界大戦後の混乱の中で、
日本では1946(昭和21)年に「日本国憲法」、1947(昭和22)年に「児童福祉法」が制定され、
戦後復興の歩みを始めたばかりでしたが、
イギリスではすでにこのような取組が行われていました。

イギリスで第二次世界大戦後にみられた社会的養護の動きについては、
社会的養護・社会福祉・子ども家庭福祉に出題されやすい部分です。

ぜひ歴史の流れを押さえておきましょう。