旅行業務取扱管理者講座の講師ブログ

郷愁列車

 鉄道は、昔から歌に唄われてきました。「汽笛一声新橋を…」から始まる鉄道唱歌は、その古典的作品でしょう。でも、平成生まれの方はあまりご存じないかも知れませんね。
他にも、「今は山中…」が歌い出しの「汽車」(何とストレートな曲名か!)、「汽車汽車シュッポシュッポ…」で始まる「汽車ポッポ」(これも直球の曲名ですね)が有名どころでしょう。もっとも、この歌を懐かしむのは、私のような昭和世代前半だけかも知れません。「汽車」のほうはやや古文調の歌詞でしたが、後者は子供も歌いやすい平易な歌詞でした。

 長じて大人となり、世間の辛さや苦さを知ると共に、親しむ鉄道の歌も変わってきます。というより、哀愁を帯びた大人の歌謡曲の歌詞には、鉄道が多く使われています。哀愁を帯びた列車といえば、これは何といっても、北国に向かう夜行列車でなければいけません。南へ向かう昼間の特急では、お土産を抱えた家族連れのにぎやかな様子が浮かび、明る過ぎます。
「窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく 北へ帰る旅人一人 涙流れて止まず」(北帰行)
「上野発の夜行列車降りたときから 青森駅は雪の中 北へ帰る人の群れは誰も無口で 海鳴りだけを聞いている」(津軽海峡冬景色)
遥か遠くなった昭和の歌ですが、未だに大好きな歌詞です。年齢がわかってしまい、いささか気恥ずかしいですが、このほか、そのものズバリの「哀愁列車」、「ああ上野駅」という歌もありました。傷ついた心を抱いて男が(女が)乗り込むのは、やはり在来線の夜行列車でなければなりません。それも寝台車ではなく、座席車が似合うでしょう。薄暗い車内灯、車窓を揺れながら過ぎゆく民家や街灯の灯、遠くから高く聞こえ、過ぎると音が低くなって遠ざかる踏切の鐘の音。

 昭和から平成になり、やがて令和の時代になって、このような歌詞から思い浮かぶ夜行列車はまったくなくなりました。学生の頃、郷里の新潟へ帰省するときは、よく夜行急行列車の自由席を利用したものです。当時の急行「佐渡」も「鳥海」も、今や名称すら残っていません。このイメージを若い人に伝えることすら困難で、私としては残念無念の思いです。しかし夜行列車の話は長くなるので、又の機会にしましょう。

 これが新幹線「はやぶさ号」では、車窓に雨露が付くどころではありませんね(踏切ありませんし)。ビールと駅弁を味わう時間もせわしなく、トンネルが多すぎて車窓風景もろくに眺められません。建物はあっという間に後へすっ飛んでいきます。ましてや、別れの辛さを噛みしめるには、青森まで3時間ちょっとでは短すぎる気が・・・。
 そういえば、新幹線が歌われている曲は数が少ないですし、だいいち明るい歌がほとんどのようです。車内は明るくきれいで、色彩も華やか。チャイムも軽やかに奏でられる。ん〜、新幹線には、「哀愁」という言葉は似合わないようですね・・・。