旅行業務取扱管理者講座の講師ブログ

試験昔ばなし

今年も国家試験の受験シーズンが終わりました。

コロナ禍に台風の直撃も重なり、受験会場の変更や試験の中止など、
昨年の総合管理者試験以上に波乱万丈の年となりました。

受験生の皆様は、大変お疲れさまでございました。
皆様が合格されますことを、心よりお祈り申し上げます。

このたび止むなく再試験となった方は、モチベーションの維持が大変かと思います。
スポーツ選手でも同様ですが、設定されたピークに合わせて調整してこられただけに、
中止・再試験の動揺は少なからぬものとお察し致します。

しかし、更に学習の時間が取れて、
パワーアップができると考えれば、逆に大きなチャンスです。

ぜひリベンジに向けて闘志を再び燃やしてください。
私も力の限り応援させていただきます。

さて今回は、一受験者の「合格体験記」です。
といいましても、僭越ながら私の体験です。

それもはるか昭和の時代で、試験制度や内容も今とは大きく異なるものでした。
また、結論から言えば合格したのですが、余り威張れるような体験ではありません。

そこでタイトルは「昔ばなし」とした次第です。

現在の「総合旅行業務取扱管理者」は、
当時は「一般旅行業務取扱主任者」と呼ばれていました。

資格の立場上は、現在とほぼ同じですが、
旅行業務取扱管理者の職務は当時より増えています。

しかし試験科目は当時のほうが多く、
全科目受験者は8科目を受験することになっていました。

ほぼ現在の科目・分野が独立した1科目で、各100点満点となっていましたが、
運賃料金は国際・国内が併せて1科目、ただし国内地理はありません。
合格ラインは非公開でしたが、およそ40点前後と予想されていました。
合格率は10%前後であったと記憶しています。

私も、全科目受験にチャレンジした一人です。
受験1年目、結果は見事に不合格でした。原因はもちろん学習不足です。

当時は某旅行業者に勤務しておりましたが、
旅行業者の社員というものは、すべての旅行業務に精通しているものではなく、
配属される部門により相当な偏りがあるものです
(海外手配にはめっぽう強いが、JR時刻表はロクに読めない社員もおりました)。

私も国内・海外の企画旅行・手配旅行を取り扱ってはいましたが、
企画部門、手配部門は別にあり、こちらは予約センターに電話するか、
行程を作成して担当手配部署に回すだけです。

当時の国際航空券は手書き発券(!)でしたが、
自分で発券したことなどありません(そういう部門に発注して受け取るだけ)。
運賃計算に至っては言わずもがなです。

JRと地理は得意でしたが、旅行業法は、
ここで言うのも憚られますが、読んだことなどありません!

加えて、言い訳でなく日々多忙。・・・というわけで、
1年目は見事に爆沈致しました。

また、当時は試験時間も3時限あり、朝から夕方近くまでかかったかと思います。
前かがみで問題を解いていると、終盤には気持ちが悪くなった思い出があります。
試験も体力勝負だと知りました。

2年目は深い反省(笑)のもと、リベンジを誓いました。
まずは、苦手科目・分野をなくすことです。

法令は屁理屈に見え、国際運賃は悪意の塊であり、
OAG(当時はABCといいました)は今でいうナンクロのようなもの、
語学は専門用語に苦しめられましたが、まあ何とかかんとかそれぞれクリア、
晴れて合格を手にすることができました。

1年目よりは、気力と集中力が優ったことが勝因だと思います。

とりわけ運賃料金科目では、
JRは非現実的な行程が出題され(得意分野だったので何とかなりましたが)、
国際運賃も今以上にマニアックであり、かなり苦しみました。

まあマニアックな世界は嫌いではない、
というへそ曲がり精神が何とか支えたかと思います。

その後、「余り特殊な問題は出さない」という見直しがなされ、
当時よりは大分素直(?)な問題になったと思います。

大半を占めるワンパターン問題の解きかたの
コツをつかめば、誰でも合格できる試験です。
とはいえ、まだまだ意地の悪い問題が多いですよね。

時が経ち、今でこそ「講師」という立場におりますが、もとは一介の受験生であり、
皆さんと同じようなところで悩み苦しみました。

私は一度挫折しましたが、失敗の経験は2度目の試験で大いに生きました。

しかし失敗をおすすめするつもりはツユほどもありません。
失敗しないことが一番です。
昔の一受験者としては、「甘く見てはならない」
「難しく考えてはならない」の二言をお贈りしたいと思います。